人生に大きな目標がない。でも、別に不幸ではない。
私には、大きな目標がない。
でも、別に不幸だとは思っていない。
以前の私は、「目標を持った方がいい」と思うタイプだった。
せっかく生きているのだから、時間は有意義に使った方がいい。
自分にとってプラスになる、意味のあることをした方がいい。
人のために動くこと。
できるだけ人に迷惑をかけないこと。
自分のことは自分で解決すること。
そういう考えが、私の根底にはずっとあった。
もちろん、資格の勉強をしている途中など、何かに向かって頑張っている自分が嫌いだったわけではない。
ただ、私の場合は、その目標を達成した「先」のことを、あまり考えていなかった。
そもそも資格を取ったのも、「周りがやっているから」という、どこか「やらざるを得ない」状況があったからだ。
「まあ、何かの役に立つかもしれない」
そんな感覚の方が大きかった。
器用貧乏な私は、周りより少し難しい資格にチャレンジしたこともあった。
でも、それさえも取得しただけで、今の生活に大きく活かせているわけではない。
なんだかんだ、私は「流されること」で生きてきたのだと思う。
だから、強制力がなくなったとき、何をすればいいのか分からなくなってしまった。
あんなに頑張っていた自分を知っているからこそ、何もしていない自分に対して、どう向き合えばいいのか分からなかった。
社会人になって仕事が忙しくなると、仕事ではない日に何かをしたいと思う気力もなくなっていった。
私は、何のために生きているんだろう。
仕事に生きるわけでもない。
かといって、プライベートが充実しているわけでもない。
「せっかく生きているんだから、何かしなくては」
「何か将来のためになること、自分自身にとってプラスになることをしなくては」
「将来安心できるように、もっと自分自身を高めなければ」
そう思えば思うほど、自分自身を見ることができなくなっていった。
そして、SNSに流れてくるキラキラした世界を見ては、焦っていた。
でも、不思議なもので、年齢を重ねていくうちに、少しずつ考え方が変わってきた。
「そもそも、目標って必ずしも必要なんだろうか?」
そう思えるようになった。
忙しい毎日に疲れた私は、とりあえず一つずつ、自分の望みを叶えていくことにした。
「今の生活が、どうなったら私は満足なんだろう?」
考えてみたら、答えは意外とシンプルだった。
「ちょっと、ゆっくりしたい」
それだけだった。
そして、長年勤めた仕事を辞めた。
すると、すべての時間を自分で決めていい生活になった。
最初は、何をすればいいのか分からなかった。
「せっかく仕事も辞めたんだから、もっと自分自身としっかり向き合って、次に活かさないと」
そんなことを考えていた。
だから、せっかく仕事を休んだのに、全然ゆっくりできなかった。
休んでいるはずなのに、また「何かをしなくては」と思っていた。
そこで、やっと気づいた。
そもそも私は、「何かをしないと!」と思いながら生きたくないんじゃないか。
ゆっくり朝ごはんを準備する。
空を眺める。
天気がよければ散歩する。
季節の変化を感じる。
夕日を見ながら、一日を終える。
そんな毎日で、私は十分に満足できるじゃないか。
きっと、どれだけ勉強しても、どれだけ意識を変えても、自分の中にある奥底の性質って、そう簡単には変わらない。
それでいいんじゃないかと思う。
目標を持って、それに向かって頑張る自分が好きだから頑張る人もいる。
それは、とても素敵なことだと思う。
でも私は、目標を掲げて、そこに向かって頑張る自分を、今はまだ想像できない。
ただ、明日食べたいものはある。
次の休みに行ってみたい場所もある。
天気がよければ散歩したいと思うし、季節が変われば、その季節の景色を見たいと思う。
大きな目標はない。
でも、別に不幸な毎日だとは思っていない。
「何かを成し遂げること」だけが、人生の満足ではないのだと思う。
今の私には、今の私なりの「ちょうどいい」がある。
大きな目標がなくてもいい。
何者かになろうとしなくてもいい。
ただ今日を心地よく過ごして、明日を少し楽しみにできる。
それだけでも、十分に幸せなんじゃないだろうか。
これが今の私にとって、満足できている人生なのだ。
