アドラー心理学「嫌われる勇気」より、今回は「承認欲求」について記事にしてみたいと思います。
前回の記事はこちら
承認欲求、あなたにもありますか?
もちろん褒められれば嬉しいし、そうやって築く人間関係もあるのかもしれません。
ですが、アドラー心理学ではこの「承認欲求」を否定します。
アドラー心理学が目標とする人物像の「自分らしく生きる」ためには、この承認欲求を持っていると自由に生きれなくなってしまうんです。
あなたも過去に褒められたくて頑張ったことって何かないですか?
子供の頃は「親に褒められたい!」「先生に褒められたい!」と思って頑張ったことがある人も多いのではないかと思います。
ですが、このような賞罰教育を元に考えてしまうと
褒められそうなことはやる
→やっても褒められなければやらない
怒られることはやらない
→バレない範囲ならやってもいい
という思考が生まれます。
この思考が染み付いてしまった子供は、自分で物事の「良し・悪し」の判断が鈍くなってしまいます。
それはそうですよね。今まで周りの大人が言ってきたことを守っただけなのですから。
急に「自分で考えなさい」と言われてもどうすればいいのか分かりません。
だからこそ、そのような環境で育ってきた子供はおそらく周りの評価を気にして生きるようになってしまったかもしれません。
いつも他人からの評価が気になってしまうということは、いつも周りの目を気にして生きなければいけません。
こうなると全く「自分らしく生きる」ことができませんよね。
私たちは他人の機嫌を取るために人生を生きているのではありません。承認すべきは自分自身だということです。
ここで本書のタイトル「嫌われる勇気」が出てくるのですが、
私たちは人から嫌われることを極端に恐れます。「誰かに認められたい」「褒めて欲しい」という承認欲求だって、他者に気に入られる自分でいたいからですよね。
この「承認欲求」を捨てない限りは、他人の目ばかり気にする不自由な人生になってしまいます。
そこで私たちは時に「相手から嫌われることを許可する勇気」が必要になってくるわけです。
10人中10人、全ての人があなたのことを好きでいてくれる可能性はありません。
もしもどんな人からも好かれているとしたら、どんな人にも合わせている自分がいるからです。
もちろん、あえて嫌われにいく必要はありませんが笑
時には「嫌われても仕方ない」と思える勇気を持つことも大事だということですね^^
・アドラー心理学では承認欲求を否定する。承認欲求は相手の評価を気にすることと同じ。
・承認欲求を捨てることが「自分らしく生きること」へ近付く。
・全く同じ好み、価値観の人はいない。時に「嫌われても仕方がない」、という勇気をもつことも必要。
これまで
・それぞれの世界観(ライフスタイル)
・劣等感とコンプレックス(劣等感を正しく使う)
・他人との競争(競争意識を持たない)
そして今回の
・承認欲求(承認欲求を捨てる)
と、自分が相手と接する上での自身の在り方についてお伝えしてきました。
次回は具体的に相手と接する際にどうすればいいのか?の「課題の分離」についてお伝えしたいと思います^^
「嫌われる勇気」まだの方はぜひ読んでみてくださいね。