今回もアドラー心理学「嫌われる勇気」の記事。
前回の記事はこちら。
前回は人と関わる上で大切な根本の話、「世界観」と「感情」についてお話しました。
今回は「劣等感」と「コンプレックス」についてです。
あなたは劣等感と聞いてどんな印象を受けますか?
実はこの「劣等感」自体は悪いものではないんですよ。うまく付き合っていくことができれば、自身の成長へとつなげてくれるものだからです。
そもそも劣等感とはなぜ生まれるのでしょうか?
それはアドラー心理学でも言われている「全ての悩みは人間関係」からも分かるように、
他人との比較
から生まれています。
一般的に「良い」と呼ばれるものを持っている人と比べることによって、持っていない自分が「悪く」感じる。それは健康や年収や容姿、環境など全てのことに当てはまります。
私たちは無意識のうちに他人と比較しています。それは周りにいる人のみならず、テレビやネットなどで得た、自分が会ったこともない人とも知らず知らずのうちに比べているんです。
この自分には「ない」という不足感が自分自身の悩みになるわけです。
自分には「ない」。
自分は人より「劣っている」。
「自分は価値のない人間だ」。
こんな風に劣等感を抱えると途端に自分が価値のない人間に思えてきて
「あれさえ手に入れば、自分は価値ある人間として幸せになれる」
と錯覚してしまうんです。
ですが、この自分が感じている劣等感は本当に事実でしょうか?
仮に自分が他人よりも劣っているところがあったとして、それは全世界の人に聞いて全く同じ答えが返ってくるでしょうか?
そんなわけないですよね。
前回でもお話しましたが、人はそれぞれ物の見方が違う世界で生きています。
同じような劣等感を抱えている人がいたとして、あなたと同じくらいそれについて悩んでいるかと言われたら、必ずしもそうではありません。
背が低いことが悩みだったとして、自分からすると「自分は背が低い」と思っているけれど
他の人の基準で考えたらそんなに低いとも思っていないかもしれません。
つまり、劣等感は主観的な思い込みであるということ。
その劣等感はこの世の「みんな」が思っているわけではなくて、「あなた自身がどう感じているか」がとても大きいということを覚えておいてください。
また、劣等感は正しく使うことさえできれば私たちを成長させてくれるものです。
「自分はあの人よりもこれができていない…
だから何とかしてこの状況変えたい!」
アドラー心理学ではこの「無力を感じる自分を何とかして抜け出したい」と思う欲求を
優越性の追求
と呼んでいます。「今より成長したい!」という前向きな気持ちのことです。
ここまではとても健全な劣等感の使い方です。
ですが、人は努力だけではどうしようもないこともあります。
かけた時間の分だけ、必ず報われるというわけでもありません。
そういう時にでてくるのが
諦めや言い訳。
諦めに関しては「もうやることはやった!」という前向きな気持ちならば構わないですが
「どうせやったってもうムダだし…」
「学歴がないから無理だよね…」
「教えてくれる親や先生が悪かった…」
など、劣等感に耐えきれなくなり現実から逃げてしまうことがあります。
アドラー心理学ではこれを「劣等コンプレックス」と呼んでいます。
また、成長を妨げる原因としてもう一つ「優越コンプレックス」と呼ばれるものもあります。
これは逃げるのではなく、強がる心理のことを言います。
優越コンプレックスの人は必要以上に自分を大きく見せようとします。例えば身の丈に合わない物を購入したり、自慢話なんかもこれらに含まれます。
私たちが成長していくためには「劣等コンプレックス」「優越コンプレックス」の道を選ぶことなく、劣等感と正しく使うことが大切です^^
・人と比較することで劣等感が生まれる=全ての悩みは人間関係
・劣等感自体は自分を成長させてくれるもの
・諦めや言い訳を使って逃げる「劣等コンプレックス」、必要以上に大きく見せる「優越コンプレックス」こちらの道を選べば成長はない
・劣等感と正しく向き合うことを大切にしよう
ここのベースをしっかりと理解しておくことが「課題の分離」の理解度を深めていくことになるので、ぜひ自分自身に当て嵌めて考えてみてくださいね^^