「自分責めをしてしまう…」
「相手のことが許せない!」
そんな風にイライラ、モヤモヤしてしまうことはありませんか?
本当は優しく穏やかな気持ちで日々を過ごしたいのに、日常にあるさまざまな出来事に振り回されて心が疲弊してしまうこともありますよね。
実は、その自分の中で湧き上がってくる否定的な声は自分の本当の声ではないんですよ。
それは、あなたの中のエゴとあなたが同化してしまっている状態。
そこから抜け出すことによってあなたの悩みはグンと減り、解決へと向かいます!
私自身もこのように考えることができるようになってからは自分責めも減りましたし、結果的に相手のことも理解できるようになってきました。
あなたもこの「エゴとの同化」に気付くことで
否定的な声に悩まされることがなく、今よりも安心して健やかに人生を歩めるようになります!
ぜひ最後までご覧くださいね。
Contents
否定的な声の正体は?
エゴとは
私たちの中の否定的な声や不快に思う声はエゴの声です。
エゴとは調べてみると
① 認識、意欲、行動などの主体として、他と区別される自分。自己。自我。
と説明されています。
他と区別しての「私」というわけですよね。
では、「私」って何でできているんでしょう?
他と区別して「私」を理解できるのであれば、何かを基準にして「私という存在」が認識できるわけです。
もう少し踏み込んで、その「基準としている何か」とは何なのかを考えてみると
周りの人から言われたことであったり、常識や社会の風潮というものなどが当てはまるのではないかと思います。
つまり私たちの自我(エゴ)は「環境などによって得た、自身の物事の受け取り方でできている」ということですよね。
あの有名なアインシュタインも「常識とは18歳までに積み重なった、偏見の累積でしかない」と言っています。
私たちが普通と思っていること。その常識を教えてもらうことは社会で生きていく上では必要だったのかもしれません。
ですが一般的に言われていることを全て鵜呑みにしてしまうと、自分の中の常識にそれが当てはまらなかった時、エゴが
「自分が知ってることと違うことが起きてる!それはいけないことだ!」
と大騒ぎするわけです。
つまり、私(自我=エゴ)から出てくる否定的な声は、
今まで自分が基準に考えていた価値観と違うことが起きた時に出てくるものだ
ということです。
何のためにエゴはある?
エゴは自我という意味で「他と区別される自分」という意味でしたね。
想像してみてください。この世の中の人がみんな同じことが好きで、みんな同じことが嫌いで、みんな同じことしかしていなかったら。
何も生まれないと思いませんか?
不便さを感じたからこそ便利な商品が生まれ、自分が嫌いなことを「好きだ」と言ってくれる人がいるから自分だけではない世界が広がるわけです。
そして自分もその中でたくさんの体験をすることで楽しんでいるわけですよね。
エゴは否定的な声を出すために存在しているのではなく、自分たちの好きとか嫌いを教えてくれるための役割も担っているんです。
時代が変われば常識も変わります。お風呂だってトイレだって、江戸時代の人と今では違うはず。
考え方だって、以前は受け入れられなかったものも今ではそれが当たり前になっていることも少なくありません。
どうでしょうか?
そう考えると、自分が基準にしていたものにただ物事を当て嵌めて騒いでいるなんてなんだかおかしいように思えませんか?
エゴゲームに気付くには?
物事に意味をつけない
ではそのエゴによっての否定的な声から楽になるにはどうすればいいでしょうか?
先ほどから言うように、エゴとは今までの自分の中での決まり事や常識みたいなもの。
それに「意味」をつけるから気分が悪くなるわけです。
例えば
・時間を守らないなんて最低だ!
・協調性を持たないなんてなんて奴だ!
・自分の意見を言わない人にイライラするなぁ…
・もうこの年なのに私はまだ…
・効率よくできなくて、迷惑をかけてしまう…
など思って、イライラやモヤモヤをしたことはありませんか?
でもこれらみんな「起こった出来事を自分の基準に当て嵌めて意味をつけている」からイライラやモヤモヤするんです。
小さい頃から
「時間は守らないといけないんだよ、人に迷惑をかけてはいけないんだよ、きちんと自分の意見を持って、でも場の雰囲気は悪くならないように空気は読むんだよ。ある程度の年齢になったなら自立して、家庭を持って、子供も産んで、家を建てて…」
と延々に続きそうですが(笑)
そんな感じで世間とか社会のなんとなくの決まり事を自分の中で採用して、それを基準に自然と物事に「これはダメなこと」「これは良いこと」と仕分けしているんです。
そしてその学習した基準に当てはまらなかった時にエゴが「おかしいよそれ!基準と当てはまらない!」と騒ぐわけです。
ではどうすればいいのかというと
「物事に意味をつけなければ良い」
だけですよね。
きっと今あなたが否定的になっているそれはどこからか仕入れた情報。本当の、あなたの奥の奥からの声ではありません。
どうでしょうか。そう気付くと少し心が楽になる感じがしませんか?
自分≠エゴと気付く
自分が不快に思うのは、今までの経験の中で得た基準で物事を判断していたから。
そう、あいつは瞬時にやってきます笑
そんなんでこれからどうするんだ!
お前には絶対無理だ!
早くしないと間に合わないぞ!
周りと比べて何も持ってないじゃないか!
そんなことも許せないなんて心の狭いやつだな!
でももう、私たちはこの否定的な声の正体がエゴの声だということを知っています。
本当の、奥底での自分の声ではありません。本来の私たちは何にも知らない赤ちゃんのような存在。
生まれる時はみんな、何も知らない状態で生まれてきます。
本当の私たちの姿はそんな「良い」とか「悪い」とかを判断しない純真無垢な存在なんです。
エゴ=自分と思い込むと、とたんに不快になります。
そこをきちんと分けて「自分」と同化させないように気付くことが大切ですね。
また、相手に腹を立てることや否定的になることを自分の心の狭さの問題なんだと考えると窮屈ですが、それだって単にエゴの常識に当てはめていただけなんですよね。
相手を理解できない自分がいたとしてもそれは「心が広い・狭い」の問題ではないと思えると自分責めもグンと減るのではないでしょうか。
人=心地良い状態が自然
エゴ(自我)が私でなかったら、私たちの存在って何なんだろう?って不安に思った方もいると思いますが、安心してください。私たちの本質をお話ししますね。
私たちがあるがままの姿でいる時って、どんな状態なんでしょう。
人として自然な状態で、誰も否定できなくて、誰もが肯定する状態。
それは
心地よさを感じている状態のとき
です。
心地よさを感じているとき、「この感覚いらない!」と言う人はおそらくいませんよね(笑)
それは
人は心地良さを感じている状態が普通の自然な状態だから。
人を愛することだったり、人に優しくしたりされたりしたときの、この心が暖かくなる感じを、嫌だと思う人はいないと思うんですよね。
そして
この「心地よさ」が私たち人の、奥の奥の本質の部分です。
だから本来、ほっとしている状態を感じたり嬉しいことが起きた時「特別なことが起きた!」というわけではありません。
これが私たちの基準にすべきところで、「これが私の通常状態」なんです。
心地よさが人の自然な当たり前の状態。
逆に不快を感じている状態が不自然な状態ということですね。
エネルギーを注ぐポイントを快の方に集中する
不快に気づいたら「これに嫌な意味づけをしているのはエゴなんだな、大丈夫、本来の私は何も傷つけられてはいない」と気付くこと。
出来事自体に意味はありません。不快を感じたら「エゴの声だな、ふ〜ん」と受け流すことが大事です。
そうやって受け流すことを続けていくと、そのうち忘れることができるようになってきて、エゴの声が小さくなっていきます。
そして受け流したあとは自然な状態に戻るために心地よいことだけにアンテナを張ってください。
「今私気分が良いわ〜」や「今すごくほっとしてるわ〜」という状態があなたの自然な状態。
だからこそあなたの心地よさを感じるものにだけ意識を向けることに力を注いでください。
すると本来の自然な状態になり、流れに上手に乗ることもでき、それに沿って生きることでより自然な人生を歩めるようになります。
・エゴとは他と区別しての「私」。そしてそれはここ数十年の常識や社会の風潮などから学んだものを自分で勝手に当て嵌めてできたもの。
・エゴ自体は悪いものではない。他と区別することで自分の好みを知ることができる。
・否定的なエゴゲームを攻略するには、物事に意味をつけ騒いでいるエゴと同化してしまっている自分がいることに気付く。
・本当の自分の本質は心地よい状態で在ること。
・心地よい状態が自然で当たり前の状態。快を探して本来の自分に戻ることに力を注ぐ。そのうちエゴの声が小さくなり軽やかに流れに沿った人生を歩むことができる。
この考え方を身につけられるようになれば人生格段に変わります!
ぜひ取り入れてみてくださいね。