潜在意識と脳科学

現実に飲まれすぎているあなたへ。楽に生きれる意識の話①

楽に生きる 意識の話

今回は私たちの「意識」について記事にしてみようと思います。

現代はストレス社会と言われるほど多くの人が自分に負荷をかけています。最悪の場合、追い込まれて自分で命を落とす選択をする人もいます。

適度なストレスは私たちを鼓舞しやる気を与えてくれるもの。でも、過度なストレスは病気の元です。

そこで一度「自分は意識に囚われすぎていないかな」ということを考えてみてほしいのです。

意識については以前別の記事で「エゴ」という言葉で触れました。今回は少し違う視点で書いてみたいと思います^^

自分責め 対処法 数秘 エゴ
「自分責めがやめられない」「相手のことが許せない」原因と対処法「自分責めをしてしまう…」 「相手のことが許せない!」 そんな風にイライラ、モヤモヤしてしまうことはありませんか? ...

 

私=意識

そもそも「私とは何なのか」と考えた時に、普通は「目に見えている範囲での私」で答える人が多いと思います。この顔や手足などの肉体も含めて「私」ですね。でもそれは相手がいたり、鏡で自分を外側から見ることができた時に表せる表現だと思います。

では、この世に誰もいなくなったら「私」はいなくなるかというとそうじゃないですよね。誰がいなくても「私」は存在します。それは私が「私はここにいる」と意識しているからです。

つまり「私とは意識だ」とも言えます。

感覚・聴覚について

少し話が逸れるのですが、感覚の話をしてみたいと思います。これは養老孟司さんの「遺言」という本からなのですが、動物は絶対音感らしいのです。そして私たちは相対音感ですが、元は絶対音感だったそうです。

耳の聞こえる仕組みは一緒です。耳の蝸牛の奥の有毛細胞という感覚細胞の並列に並んでいる毛が揺らされて私たちは音を認識しています。音の周波数によって共振する場所が違うのだそうです。

動物はこの音を正確に聞き分けますが、人は反応しなくなりました。

そもそも違うことが当たり前だった

ここで意識の話に戻るのですが、そもそも人がそれぞれの周波数を全て感覚で捉えていた場合、同じものを同じだと認識できないんです。

猫は自分の名前をそれぞれ別の人から呼ばれても自分が呼ばれていると認識できません。同じ文字で呼ばれても文字の意味は分からないので「音」を感じるからです。

 

猫

 

もしもこれが人の間でも起こっていたら、とても面倒臭い事になりますよね。

名前を呼んだとしても振り向かないし、明らかにコップを指しているのに自分の感覚が知っているコップではないから「これは私の知っているコップではない」と共通の認識がもてないし…

人は大体のことを「みんなと同じ感覚を持っている」から、コミュニケーションが取れ、経済を回していくことができているんですよね。

 

仲間 アドラー心理学

 

「個性を大事にしよう」「人と違うところを見つけて武器にしよう」

多様性を重んじる風潮もありますが、そもそも人は初めから違うことが当たり前だったのかもしれません。

それでも人は生きていく上で必要だったから、共通認識を持てるように“同じ”を身につけるようになった。

 

あなたが自分で「私」と思っているものは「意識」。

そしてこの「意識」は、社会で生き抜いていくために必要ではないと思った感覚を捨て、

代わりに“同じもの”を認識するために自分にとって必要だと感じた「概念」を入れた

 

どうでしょうか?

こう聞くと「私はこういう人」なんて初めから決まっていないし、

「絶対に変わることができない」という、凝り固まった自分を少し柔らかくできる気がしませんか?

人が「辛くて仕方がない」と思う時、自分の「意識」に囚われすぎているように思います。

現実に疲れてしまった時、思い出してみてくださいね。

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