生き方を整える

感情がほどける歌に出会った:ミセスの「狭心症」カバーが心を整える

最近RADWIMPSがメジャーデビュー20周年を記念して、トリビュートアルバム「Dear Jubilee -RADWIMPS TRIBUTE-」をリリースしたみたいです。

私自身RADWIMPSは学生時代よく聴いていてそのメッセージ性に強く心を打たれていました。最近はあまり聴くことはなかったのですが、Mrs. GREEN APPLEが「狭心症」をカバーしていることを知ったので聴いてみました。

RADWIMPS「狭心症」とは

狭心症という楽曲はRADWIMPSが2011年に発売したアルバム「絶体絶命」の6曲目に収録されています。狭心症というと病名をイメージする方も多いと思いますが、今回の楽曲に至っては「心の狭さ」を表しています。

他の方がサイトでこの曲に関しての考察を色々と書き記してあるので見てみてほしいのですが、大枠を伝えると、「社会」や「生きる」ことについての疑問や葛藤、

“こう在るべき”

でも

“そう在れない”

そういう脆さや弱さは人の中にあって、たとえ不条理な世の中だとしてもそれを受け止め、自分ごととして考え決して忘れてはいけない、というようなメッセージ性のある曲です。

自分の中の感情がリセットされる

この曲ってすごくいろんな感情が蠢く曲だと思っています。

私はいろいろと気付くタイプなのですが、それを全て受け入れていたらとてもじゃないけど自分ではいられなくなります。

でも気付かないフリをするのも結構キツイのです。

それこそ「こう在りたい」のに「そう在れない」という現実に遭遇した時、私の内側ではいろんな感情が蠢いています。

一言では言い表せない、でも確かに少しずつ溜まっていくいろんな感情。

そしてうまいことそれを吐き出せない私には、この曲と大森さんの表現が自分の代わりに吐き出してくれているようで、聴いていてとても安心しました。

人によって心に刺さる表現方法は違うのかもしれませんが、アートの本質がこのような形なのであればなんて優しくて、健全な世界なのだろうと思います。

期待しすぎず、でも希望を忘れず

私が感じたことは

「人の苦しみ・悲しみは比較できるものではないもの」

「余裕がない時に世界を見ることができない私がいたとして、それはそんなに非難されるべきものなのだろうか?」

ということ。

全世界を見てみると、やっぱり日本人は恵まれています。こんなに豊かな国に生まれたのに、何がそんなに不満なんでしょう?

 

でも、そう言われたところで私たちは納得できるでしょうか。

屋根のある部屋で眠れる人が多いでしょうし、食べ物に困るような生活をしていたとしても助けてくれる制度が日本にはあります。

でも、私たちの苦しみは豊かさを得たが故のものもあります。

誰だって分かっています。日本が恵まれていることなんて。

だけど苦しみ、悲しみを線を引っ張って、上下で分けて「だからマシ」で片付けられるほど人間の感情は簡単ではない気がしますし、あまりにも不確かな基準値だと思います。

 

この曲では

「この眼が二つだけでよかったなぁ」

「この耳が二つだけでよかったなぁ

という歌詞があります。

 

私たちの生活が何かの犠牲の上で成り立っていることは忘れてはいけません。

でも、それを理解した上ですべてを受け入れられる強さなど人間にはないのだから、そこのある意味「諦め」も必要なんですよね。

二つだけで良かった。だから私たちは気付かずに笑っていられる。

すごく汚いこの感情。でも私たちなんて所詮こんなもんです。

でも、その汚さや弱さの逆側には犠牲があることを理解しようとし、真っ当な自分で在りたいと願えるような自分もいるんです。

そしてそんな自分がいることは、自分の内側で光となります。

 

私たちは所詮そんなもん。

それでもいろんな感情を抱えながら必死に生きる私たちの姿勢そのものが、美しいのではないかな?と私は思います。

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整え子
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