自分にとって嫌な出来事が起こったり、漠然とした不安があったり、自分の選択に迷いが生じたり…
人生に悩みってつきないものですよね。
一つ乗り越えたとしてもまた次の悩みが湧いてきて頭がグルグル…
この負の循環を断ち切りたい!
そんな時、「一瞬で元気になる言葉」があるとしたら…
知りたくはないですか?
実はその言葉こそ
「起こること、全ては最善」
なんです。
気持ちの切り替えをすんなりできるようになると、
必要以上に思い悩むことが少なくなります。
また定期的にこの言葉を思い出すことによって、
自分に力が湧いてくる感覚を思い出すことができますし
客観的に捉えることで、その後の行動へと移すスピードも自然と上がってきます。
今回は気合いで乗り切るポジティブ論としてではなく笑
その言葉の意味を具体的な事実としてお話ししてみましたので、ぜひ最後までお付き合いください。
記事を読み終える頃には新しい視点が得られているはずです。
Contents
起こること全てが最善とは
出来事によって得るものがあった
自分にとって苦しくて、一見マイナスに見える出来事に遭遇したとします。
そんな時、大抵の人が「最悪だ〜!なんでこんな目に遭うんだろう!💦」と思うのかもしれません。
ただ、そのマイナスの出来事もちょっとだけ離れて観てほしいのです。
それによってあなたにプラスになるものはなかったでしょうか?
例えば
・恋人との別れ→一人の時間が増え、色んなことに目を向ける時間も増えた
・体調を崩す→健康のありがたみが分かった
・お金がない→お金の使い方や稼ぎ方を見直すきっかけになった
・周りとの不調和→自分が本当に大切にしたいことを考えることができた
ここに挙げたことは一例ですが、その時の出来事によっての気付きが必ずあったと思います。
ここで共通して言えることは、
この経験をしたことによって自分自身が成長する手助けをしてくれた
とも言えるのではないか、と思います。
渦中にいるとそんなことはどうしても思えない時もありますよね。
でも実際に成功している人や周りで成熟しているなと思う人は、
「あの時のあの経験がきっかけだった」
という人も多いです。
人は傷つかないように生きて学べるのならばそうしたいと誰もが思うでしょう。
だけど私たちは
自分たちを脅かす危機感がない限りなかなか学ぼうとはしないし、行動にも移せない生き物です。
あなたが成長するためにそこから得られるものは何でしょう?
出来事に意味づけしているのは?
では、もしもマイナスに思える出来事が起こったとして、それが「悪いこと」「嫌なこと」と意味づけをしているのは誰でしょう?
それは紛れもなく「自分」ですね。
実際に出来事というのは、それが今起こったというただの「現象」ということだけ。
そこに社会一般で考える「悪いこと」だという刷り込みが入った視点でその物事を捉えるから、
その出来事が自身にとって「悪いこと」だと感じるわけです。
上記に挙げた通り、その物事のポジティブな側面はあります。まずは、その物事をただの現象として受け入れる視点をもつこと。
そしてその意味づけをするのは周りではなく自分自身だということを覚えておいてください。
軽やかに流す癖をつける
ここで注意点なのですが、こういう話をすると
「なるほど!じゃあ私はこの経験から得るものがあるはずだから、必ず掴み取ろう!」
なんてすごい覚悟を持って頑張ってしまう人がいるかもしれません笑
真面目な人や話を真摯に受け止めすぎる人や努力をすることが自然にできる人はこういう思考に陥りやすいかもしれませんね。
それ自体はとても良いことなので自分の才能として持っていていただきたいのですが、
今回に限っては
「あ、こんな現象が起きた。ふ〜ん。」
くらいで流してください。
大事なことはフラットな視点で物事を捉えることです。そこに「良い」だの「悪い」だの意味をつけることなく、現象が流れていくということをただ感じてください。
その感じた先に何かが自然と沸き上がってきます。
「なるほどね、じゃあこれに対して私は今後どうしたいかな」
という風にですね。
・全ては自分が成長するために起こっている経験。
・そもそも出来事に対して「嫌な」と意味づけをしているのは自分自身。まずはそれに気付く。
・出来事をただの現象としてフラットに捉える。「へ〜」と軽やかに流せるくらいフラットに捉えられるようになるとその後へのアクションに自然と繋がる。
私たちの価値とは
出来事≠自分の価値
あなたは今まで自分の価値を何を基準に決めていたか考えたことはありますか?
下記のような思考から価値のある・なしを決めてきたこともあったのではないでしょうか?
(例)
・勉強ができる→みんなから褒められる→私ってすごい!
→勉強ができる私はとても価値のある人!
・要領が悪い→効率良くしなければいけないという社会的な考え
→効率的に考えられない私は価値がない人…
これは勉強ができることや効率的に考える社会的な「良い」とされていることを否定しているわけではなく、自分の価値を決めてしまう要因として、
今までの経験や自分の思い込みがほとんどで、それにどんな意味をつけるかで価値がある・なしを判断している
ということをお伝えしたいだけです。
もしもあなたがその出来事によって自信を失ったり不安になってしまったとしたら
それは自分の思い込みや社会的な意味合いで自分の価値がなくなると思ってしまうから。
でも本当はその現象自体に意味はないし、そこに意味づけをしているのも自分。
本質としては、自分の価値が周りによって上がったり下がったりするなんてありえない話なんです。
私たちは選べる
この「私たちは現象をどう自分で捉えるかを選べる」という考えを知ると、自分自身に力が湧いてくる感覚になりませんか?
でもこれって事実なんです。
何度も述べているように起きた出来事はただの現象。そこに意味はありません。どう考えるかは私たちに選択権があるんです。
だからこそ、大切なことは「自分が最善を選んでいると決めること」。
私たちは今すぐに思い描く未来に到達できるわけではありません。私たちは三次元の世界で生きているので時間の概念の中で生きているからです。
でもその理想とする未来の世界線に乗ることはできます。そのために必要なことが
「今この瞬間から起こることは全て私の最善です」
と決めること。
こう決めさえすれば、起こることは全てあなたが理想とする未来の世界線で必要があって起こっていること。それは最短のルートに乗ることでもあります。
私たちはこの世に経験を楽しみにきているので、そもそも本来はその現象より得られることを目的として生きています。
現象が起こるからこそ成長したり、望みを明確にできたりと自分の中で本当に求めるものが明確化されるからです。
現象が起こることによって感じることを目的としているのだから、そこに自分との価値をくっつけて必要以上に構える必要なんてないんですよね。
・一見嫌に見える出来事もそこから得られることがある
・「嫌なこと」と決めているのは自分自身で、出来事はただの現象
・変に「何か掴み取ろう!」と気負うのではなく、ただフラットに見つめることが大切
・「良い」「悪い」を判断していたのは、今までの経験や社会一般にそう言われていることを自分が採用したため
・「良い」「悪い」と判断しなければ、現象により自分の価値が変わったようには思わない
・どう捉えるかは自分で選ぶことができる。「起こることは最善」と決めさえすれば、これから起こる全ては必要があって起こる現象。身構えずただ過ぎていく様を見つめ、自分がどう感じたかだけに注目する
今回は出来事に対して自分が「なぜそう思ってしまうのか」をただの事実として紐解いてみました。
仕組みを知ると冷静になり、客観的になれる自分も存在します。
参考にされてください。