何かを成し遂げなくてもいいと気づいた日の話
今日はおにぎりが美味しい一日を感じれたと思う。
お休みの日に天気に恵まれることは本当にありがたい。洗濯をしたり散歩をしたり自分が幸せだと思うことを沢山できる。
すれ違う犬達に癒されながら、自由に飛ぶ鳥を見ながら、今日はとても良い日だなと思う。
その度に、幸せはこういうことが原点なんだと感じる。
求めればキリがなくて、一時的な刺激をもらえてもまた欲しくなる。
かつての私はそうだった。今よりももっと、もっと、と生きることで幸せになれるんだと思ってた。
以前忙しい毎日に疲れて1年くらい仕事をお休みした。その時も「1年休むんだからやりたいことをいっぱいやって悔いの残らないようにしよう!」と思っていた。
やりたいようにやってみようと思ったけれど何をするにもお金がかかる。そうすると、無収入だからまずは生活第一を考えてしまう。迷いのある行動は芯がないからブレる。結果、焦りと不安だけが残った。
暇だった私はいっぱい考えた。どうすればもっと気楽に生きることができるのか。安心して生きることができるのか。
いっぱい考えたからこそ分かった。
「考えたところで答えはない」ってこと。
全部頭の中での話。この話を私が止めることができれば、私は一瞬で気楽になれて安心することができるんだ、と。
焦りと不安がなくなった今、どうしたい?と聞いたら、やっぱりどうしたいってなかった。
ただお日様を感じておにぎり食べて、「今日も豊かだな」って感じたいだけだった。
今日はお米がないな、そうだクロワッサンを買いに行こう、ってしたいだけだった。
私は成し遂げたいことなんてなかった。ただ今の暮らしを楽しみたかった。
そしたら「どうしたい」ってこと、沢山浮かんできた。
これは完全に私の話。
でも世の中は刺激を求め、成し遂げたい何かがあるパワフルな人達がいてこそ発展していくものもあるから、私はそれらもとても大切な感情・思想だと思う。
私はもうそういう形を求めることはできなくなったけど、いろんな形があっていいんだなとゆっくりと散歩をしながら改めて思った。
